見ザル、聞カザル、話サザルはできても、思ワザルはできない>なぜ親鸞聖人は修行を断念し、比叡山を下りたのか【歎徳文】

見ザル、聞カザル、話サザル

この3つを実践している人はいるし、自分も、難しいことではあるけれども、不可能ではない、と思います。

ところが、思ワザル、となると、これは・・・無理だ、と白旗を掲げてしまいますね。

端から見て、これができていて、すごいな、思える人がいたとしても、実は、その人自身が、それができてないと知っている・・・・。

20年間、死に物狂いで、脇目をふらずに、一心不乱で我が道をいき、突然、それをやめる・・・・。

親鸞聖人は、まさに「人」としての悩みを正直に、真剣に考え、伝えた方なので、魅力的なのでしょうね。

自分の本心は、なかなか自分では認めたくないし、正直に外には出せないですよ。

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