肺がんで余命2年と宣告された医師の告白  「コロナは5類に。報道には虚しさを感じる 」

Snagit1_53.png 2021-01-23__.png

www.dailyshincho.jp/article/2021/01230559/

「一度きちんとした診察受けてみたら」と妻が言った。阪急電鉄六甲駅近くの「関本クリニック」の関本剛院長(44)は2019年夏ごろ咳き込むことが増えた。小児喘息の経験があり、大人になってからも空気の悪い場所で咳き込むことがあり、さして気にしなかったが「医者の不養生といわれるのも本意じゃない」とばかり検査を受ける。

「一度きちんとした診察受けてみたら」と妻が言った。阪急電鉄六甲駅近くの「関本クリニック」の関本剛院長(44)は2019年夏ごろ咳き込むことが増えた。小児喘息の経験があり、大人になってからも空気の悪い場所で咳き込むことがあり、さして気にしなかったが「医者の不養生といわれるのも本意じゃない」とばかり検査を受ける。

自らの葬儀の挨拶を事前録画

 昨年8月に『がんになった緩和ケア医が語る「残り2年」の生き方、考え方』(宝島社)を出版した後、講演依頼や取材が殺到する。

「これが私の脳のMRI写真です。がんが小脳や脳幹などに転移しています」。昨年11月に三宮で開かれた講演会では冒頭、脳の一部が黒ずんだ断層写真がスクリーンに映された。宣告を受けてから一年でやったことなどを紹介した。

「私の葬儀で妻に挨拶させるのは忍びない」と自ら参列者にお礼を述べる様子を録画撮りした映像を用意していることや子供たちのために残した映像や音声もあることを明かした。

 関本さんはクリスチャンだが、がんと知られて以来、得体の知れない民間療法や宗教団体などの勧誘で迷惑しているとか。「インチキでも、あれだけの熱量をもって勧めてこられれば、医療者じゃない方は何かに入れ込んでしまうかもしれません」と心配する。愉快な語りは悲壮さを感じさせない。

 神戸市生まれの関本剛さんは中高一貫教育の六甲学院に進んだ。高校ではブラスバンド部でトロンボーンを吹いていた。1995年1月、受験の直前に阪神・淡路大震災が起きた。「自宅で寝ていましたが別の所に住んで歯科大学に通っていた姉ともども家族は無事でした。神父さんの指導でブルーシートを屋根に張るなどのボランティア活動をしました」。

 関西医科大に進み卒業後は内科研修の後に消化器肝臓内科を専攻。大学院で博士号も取得し、その後数年同大学付属病院で消化器内科医として勤務した後、六甲病院の緩和ケア内科で3年間勤務し、現在に至る。
気がかりな人格の変化

 今の所、抗がん剤投与後2、3日間身体がしんどくなること以外、目立った変調はないが、何よりも気がかりなのは脳に転移していることだ。

「加害者になりかねないので車の運転を控えています」と在宅緩和ケアではスタッフに訪問先まで送ってもらう。「認知症の悪いケースのようにがんが脳に悪さをして人格が攻撃的になるなど変わってしまうこともあります。人に迷惑がかからないような変わりようならいいのですが」と話す。医療従事者の苦労を熟知するだけに入院時には気を使った。「ナースコールは点滴トラブルのブザーが鳴り続けていた時以外は押したことはありません。個室とはいえ、シャワーを浴びるタイミングや用を足すタイミングに気を配りました」。

 積極的治療を断念せざるを得ない患者と向き合う緩和ケア医師には最新機器を用いた精査や治療、抗がん剤など「振りかざす武器」がない。

「今から思えば、消化器内科医の頃は内視鏡の検査や治療、抗がん剤投与など『振りかざせる武器』を振り回しながら、時間のあるときに患者さんの話を聞いて、痛みに対して麻薬を使って、緩和ケアができているつもりでした。しかし緩和ケア病棟ではそれまでふりまわしてきた武器を使えない患者さんばかり。患者さんの『人生の花道を飾る』には、患者さんと真正面から向き合う覚悟はもちろんのこと、膨大な専門的知識と哲学、人間力が必要であり、初心に立ち返って真摯に勉強しなおさなければならないと思い知りました」

 対話力、人間観察力が問われる。大学で消化器内科を専攻したのもがんの勉強ができるからだったが、「人の死」を見つめる緩和ケア医を選んだ理由には忘れられない体験が影響している。

緩和ケア医を目指させた体験

 小学校5年の時、母方の祖父が自宅で脳塞栓で倒れた。「一秒でも命を延ばす」ことが医師の使命とされた当時、母親である祖母から「死なせんとって」と頼み込まれた雅子さんは意識がない祖父に人工呼吸器を装着した。だが雅子さんに病室で「触ってあげて」と言われた剛さんは祖父に触れなかった。

「病床でシュー、コーという機械音だけが聞こえた。全身チューブだらけで手足がむくみ、怖い物体にしか見えなかったのです」。

 逆に高校時代、母が切り盛りする緩和ケアの現場で残り少ない人生を生き生きと過ごす人を見て「一秒でも長く延命させることだけが医師の仕事ではない」と確信する。

 自らが不治の病を患っていることが判明し、患者への対応はおのずから変わった。「同じことを患者さんに言っても言葉に魂がこもるようになったのでは。『お互い、楽に長生きしましょうね』と語ると距離が縮むんです」。

 緩和ケア医のやり甲斐を感じた瞬間がある。

「多忙で応援医師を派遣したら『バイトをよこすんか』と文句を言う、何かにつけ敵対的だった患者さんがいました。私ががんで入院するので仕方なくまた応援医師を派遣したら、その医師が『頑張れ』というメッセージが書かれたホワイトボードとピースサインをするその患者さんの写真をメールで送ってきたのです。嬉しかった」。

 01年に「関本クリニック」を立ち上げた雅子さんは理事長に退き、院長を剛さんに任せていた。

「ちょっとはゆっくりしようと思ったけど駄目になりました。深夜の往診なんかは私が引き受けることが多くなっています」と雅子さん。しかし息子の患者対応について「私はもちろん、もうどんな医者も剛には勝てません。私も初めて患者の家族となって少し進歩したかもしれませんけど」とほほ笑む。

 父の恵一さんは元町で開業する歯科医だ。若い頃、ボーイスカウトの活動を熱心にし、喘息の剛さんを走らせて鍛えて克服させた。仲の良い父子だった。恵一さんは現在77歳。「剛と代わってやりたい」と泣いたという。
「新型コロナは第5類にしたほうがよい」

 新型コロナウィルス対策について意見を尋ねてみた。

「現在、新型コロナウィルス感染症は指定感染症としてSARSやMARS、結核などが分類されている第二類感染症と同様に扱われていますが、これは届け出や隔離などが細かく義務付けられ、少なくとも私が働いている医療圏では医療も行政も2021年1月の時点で既にキャパシティーの限界を超えています。一方で死者数は1月14日の時点で4340人。届け出が全数把握の義務のないインフルエンザでも年間1万人が亡くなっていること、肺炎全体で言えば毎年10万人が亡くなっていることを鑑みると、インフルエンザ並みの第5類に落としてゆく方がいいのではないでしょうか。

 コロナでウィルスの変異が起こっただけでトップニュースになっていますが、インフルエンザウィルスでも変異は頻繁におこっています。新型コロナウィルス感染症とわかった人が自宅待機中に亡くなればトップニュースになりますが、昨年大阪だけで約2900人が孤独死(事件性がなく、衰弱や急病で誰にも看取られることなく死亡)しています。新型コロナウィルス感染症であっても、心筋梗塞であっても、癌であっても、独居の方は急な変化がおこって意識消失してしまえば、救急車を呼ぶこともできずにそのまま自宅で亡くなられるのです。そのうち新型コロナ感染症患者を受け入れられる病院が無くなると、『たらいまわし』的な報道がなされるのではないでしょうか。

 事実とはいえ話題性のある事象だけを大局的な視点を欠くコメントとともに大々的に取り上げ、市民の不安や怒りを煽ったり、『悪者』を決めて徹底的に叩き落すという報道の在り方に憤りを感じますが、それもスポンサーや視聴者(視聴率)に忖度した結果だと思うと、むなしさを感じます」

「医者には患者さんとある程度の距離を置いて喜怒哀楽をあえて出さずに接するタイプと、私や母のように距離を詰めて患者さんと共に一喜一憂するタイプがあると思います」と語る関本さん。「患者仲間」の懐に飛び込む毎日にも一番の家族サービスはスキー旅行だ。

「昨年は念願の北海道に行ったのですが、この冬は白馬や赤倉温泉など信州です。抗がん剤の副作用で足がむくんでおり、スキーブーツが履けるか心配しましたがなんとか行けましたよ」とほほ笑んだ。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」「警察の犯罪」「検察に、殺される」「ルポ 原発難民」など。

週刊新潮WEB取材班編集

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする