これはすごい>東大野球部・前監督が選手に伝え た7年間の金言

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日本の大学野球の最高峰ともいえる、東京六大学野球連盟。同連盟に1925年から加盟し、253勝1658敗56分けという記録を残しているのが、東京大学運動会硬式野球部だ。

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 浜田一志氏は、2013年春季から2019年秋季まで、7年14季にわたって同部の監督を務めた。浜田氏はどんな方針で弱小野球部を率いたのか。その胸の内を聞いた(取材はリモートで実施した)。

■実感したのは選手のレベル感の違い

 浜田氏は高知県の土佐高校時代、強打の外野手として鳴らした。野球部引退後に一念発起して東京大学を受験し、合格。大学では東大のシーズン本塁打(1985年春:3本)、1試合最多本塁打(1985年春・対立教大学2回戦:2本)記録をマーク。4年次の1986年には主将としてチームを引っ張った。

 卒業後、東京大学大学院工学系研究科に進学し、材料工学を専攻。大学院修了後は新日本製鉄(当時)に入社。1994年に独立し、文武両道を目指す「部活をやっている子専門の学習塾」としてAi西武学院を開業した。その傍ら、2013年に東京大学野球部監督に就任した。

 東京六大学野球連盟に加盟しているほかの5大学がスポーツ枠などで有力な選手を獲得する中、最高学府・東京大学は受験を突破した学生だけでリーグ戦を戦っている。東京大学野球部監督に就任して、実感したのはどういうことだったか。

 「まず、選手のレベル感の違いですね。高校時代、夏の地方大会1回戦で負けて『よく頑張ったね』と言って野球生活を終わった子が入ってくるんです。“就職活動”みたいなヒリヒリする戦いを甲子園でしてきた子とは、レベル感が違う。入学時には、メンタリティーも体力も大学1年生と中学3年生くらいの違いがあります。

 だから『自分たちが目指すレベルはここだよ』ということを身をもって知ることから始める。どれくらい差があるかを実感し、その差を埋めるためにどんな努力をするのかを、各自が知ることから始める。東大生は自分たちが納得すると、それに向けて努力を続けるのはお手の物です。
 ただし、走攻守3つとも追いつこうとしたら10年かかる。どれか1つでも、実質2年半の大学野球で追いつくにはどうしたらいいのかを考え始める」

 筆者は以前、東京大学野球部のコーチを務めた桑田真澄氏から「東大生は頑張りすぎる」と聞いたことがある。

 「努力をしすぎるのは、ゴールとの差を埋めるためにどれくらいやるべきかを突き詰めて考えると、一か八かのところが出てくるからです。肩を大事にして4年間終わるのか、ひょっとしたらぶっ壊れるかもしれないけど覚悟をして頑張るか、ということになる。

 なぜなら東大生は『自分の野球人生はここで終了』という感覚でやっている。将来投げられなくなるという心配はしない。甲子園で燃え尽きるのと同じですね。僕は、それぞれの人がそう思うのは自由だと思います。それを強要したら“昭和の野球”になってしまいますが……」

■連敗中と「勝ってから」の差

 監督時代には、東京六大学記録の「94連敗」も経験した。

 「100(連敗)というのは、大きなプレッシャーでした。すごいことになるという感覚がありました。連敗は2015年5月23日の法政大学戦でストップしましたが、1つ勝ったあとの選手は変わりました。

 連敗中は『先制点をとっても、いつ逆転されるか』と思っていましたが、1つ勝ってからは先制すれば『よっしゃ、これでいける』と思うようになった。ここがものすごく違うんですね。やはり野球は勝利を求めないと楽しくない。これも、選手が勝利を求めれば“楽しみ”ですが、監督が選手に強要すれば“パワハラ”になりかねません」

 この時期から、毎年勝ち星が上がるようになってきた。

 「このころから体の大きさが変わってきましたね。就任してから3年かけて『勝ちたければ食え』をチーム全体の文化にした。食育は、文化にしないと必ずさぼる人が出てくる。

 これも監督が『食え』と強制すればパワハラになる。でも『食べて体が大きくなると勝てる』と学生が理解すれば、進んで食べるようになる。選手がどこまで納得しているかが大事ですよね。選手の身体が大きくなって勝てるようになってチームは変わりました」

 連敗阻止の翌2016年春には、宮台康平投手の活躍もあって3勝を挙げる。

 「勝てるようになった2つ目の要因が宮台です。彼は神様からの贈り物みたいなものですね。入学したときに、太ももが65センチくらいあった。普通の東大生は50センチ台です。

たまたま、ああいういい選手が入ってきて、エースになると、周りの士気も意識も変わります。エースが一人できると組織が変わるんです。そのタイミングと食育文化の醸成があって、東京大学は勝てるようになったんです」

 浜田氏は東京大学野球部監督として何を目指していたのだろうか。

 「僕が究極の目的にしたのは“愛のある官僚”をつくることです。官僚とは、いわゆる役人だけではなく、エリートビジネスマンなども含みます。

 東京大学は官僚養成学校です。東大野球部の選手も卒業すれば、官僚になります。普通の東大生は高校では成績トップで、大学でも負け知らずのまま卒業します。でも、野球部員はほかの強豪大学と試合をして、『頑張っても努力は実らないこともあるんだ』ということを経験します。

 そのときに方向転換することになる。方向転換とは、自分が間違っていたことを認めることです。勉強で成功し続けてきた東大生には受け入れがたいことです。つまり、東京大学野球部で野球をするということは、『自分がいくら努力しても勝てない相手がいる』と気がつくことでもあるんです。

 でも素直に『間違っていました、すいません』と認めて、周りの意見を聞き入れる経験をすることで、“愛ある官僚”になれると思うんですね。要するに意地を張って『Go To トラベルキャンペーン』をやり続けるとか、そういうんじゃなくて(笑)、だめなときには他人の意見に耳を傾けて方向転換できるエリートを育成することですね」

■忘れがたい選手たち

 在任中、印象的な選手にも数多く出会った。

 「2016年春に二塁手でベストナインになった桐生祥汰は、やられてもやられても立ち直る、強いメンタリティーの持ち主でした。苦手なところは捨てて、得意なところで確実に勝負をした。バッティングも自分の得意なところを確実にできるようにする練習をしていた。

 いろんなことをやる練習は楽しいですが、精度を上げる練習は同じことを繰り返すので楽しくない。彼はそれを一生懸命やっていました。

 また田口耕蔵は、入学したときは『こんな下手くそ見たことない』というレベルでしたが、彼はパワーで勝負したいということで、バットに当てる練習ではなく、芯を外しても遠くに飛ばす練習をしていました。僕はそれを認めた。最初は代打専門でしたが、レギュラーになりたいと守備練習をいっぱいやり始めました。そして最後は4番を打ちました。

 あとは各世代のキャプテンは立派でした。そして、学生コーチもキャプテン以上に立派でした。いい選手に恵まれたと思います」

 (後編「東大野球部・前監督が野球界に投じる3つの提言」は8月29日に配信します)

広尾 晃 :ライター

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