東大生が断言「頭が良い人、悪い人」決定的な差

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「『自分の頭で考える』って、どういうことなんだろう?」「頭が良い人とバカな自分は、いったいどこが違うんだろう?」
偏差値35から東大を目指して必死に勉強しているのに、まったく成績が上がらず2浪してしまった西岡壱誠氏。彼はずっとそう思い悩み、東大に受かった友人たちに「恥を忍んで」勉強法や思考法を聞いて回ったといいます。
「東大生は『生まれつきの頭の良さ』以前に、『頭の使い方』が根本的に違いました。その『頭の使い方』を真似した結果、成績は急上昇し、僕も東大に合格することができたのです」

【問題】この時刻表から何がわかる?

頭の良い人は、頭をどう使っているのか?  「自分の頭で考える」とは、どういうことなのか?  「頭の良い人」になるためには、どうすればいいのか?  
そんな疑問に答える新刊『「考える技術」と「地頭力」がいっきに身につく 東大思考』を上梓した西岡氏に、「頭の良い人」と「悪い人」を分ける決定的な違いを解説してもらいました。

■「才能、環境、親の金」よりも大切なことがある

 みなさんは、「頭の良い人」とそうでない人の違いって、なんだと思いますか? 

 生まれ持った才能でしょうか?  それとも、記憶力とか思考力とか、そういう学習能力でしょうか? 

 僕はもともと、バカだった人間です。高校3年生のときの模試の偏差値は35、walkとworkの違いがわからなくてクラスで笑われていたような人間です。

 そんな僕も、東大生の友人や東大に合格できるほど優れた頭脳の持ち主に「どんな勉強をしているの?」「どんなノート取ってるの?」と質問しまくった結果、2浪の末になんとか東大に合格できました。

 そういう経験を経たうえで、当時と今を比べたとき、いったい何が違うのか。頭の良い人とそうでない人の違いはどこにあるのか。僕は1つ、これが結論なんじゃないか、という答えをみつけました。

 それは、「目の良さ」です。

 僕は、「頭の良い人とは”目が良い人”だ」と思うのです。

 ……なんていうと、「いやいや、そんなわけないじゃん!」と否定されると思うのですが、これはもちろん単純な視力の問題ではありません。頭の良い人とそうでない人とでは、純粋に、目の中に映っている景色がぜんぜん違うんです。そしてこの「目」は、意識するだけで誰でも良くすることができるんです。

たとえばカメラで写真を撮ったとき、ピントが合っていなくてぼやけて見えることがありますよね?  同じ景色でも、ピントが合っていて解像度が高い写真もあれば、ピンぼけしている写真もある。

 これと同じように、同じものを見ても、頭の良い人とそうでない人とでは、「見えている世界」がぜんぜん違うんです。

■東大生は「日常のあらゆるところ」で勉強している

 東大生の勉強は、机の上だけでは完結しません。普段、何気ない日常生活を送る中で、そこから学びにつなげるような思考をしています。

 たとえば東大生の友達と街を歩いていると、「なんでコンビニはこんなに近接して立地しているんだろう?」「promiseは約束って意味の英単語だけど、それがどうして金融の会社の名前に使われているんだろう?」なんて具合に、日常のささいなことに疑問を持って、学びに活かせるような話をしています。

 趣味の話をしているときですら、勉強しています。

 たとえば最近、King Gnuというバンドの「白日」という曲が流行しましたが、みなさんは「白日」という言葉の意味を知っていますか?  なんであの曲は「白日」というのでしょうか? 

 実は「白日」というのは、「青天白日」という言葉があるとおり、「無実の罪」とか「清廉潔白で罪を犯していない状態」のことを言います。「自分は白日の身の上でいられるだろうか?  時には誰かを知らず知らずのうちに傷つけているかもしれない……」というのがあの曲のメッセージであり、だからこそ「白日」が曲の名前になっているのです。この「青天白日」という言葉は、入試でもたびたび問題になるような語彙です。

 このように、同じ日常生活を送っているのに、同じ趣味を持っているかもしれないのに、学びにつながる「目」を持っている人もいれば、そうでない人もいます。この「目」を持っていないがために、「頭が悪い」という状態になってしまうことだってあるのです。

そして東大は、こういう「目」を持っているかどうかを問う入試問題を出題しています。

 たとえばこれは、2005年の東大入試に出された「全国4地点のバスや飛行機の時刻表が、どれがどれか答えなさい」という問題です。普段から自分が乗っているバスや電車、飛行機に目を配っていれば小学生でも解けますし、そうでなければちゃんと勉強している高校3年生でも解くことができません。

[ 問 題 ]
次の表は、日本国内の4地点における時刻表を示したものである。

表の中のa〜dは、
?成田空港の上海行きの航空便
?東京郊外の住宅団地のバス停(最寄りの駅前行き)
?人口約10万人の地方都市の駅前のバス停
?人口約5000人の山間部の村のバス停
のいずれかである。a 〜d に該当するものの番号(?〜?)を、それぞれ答えよ。
※2005 年 地理 第2問 一部改変

 この問題の答えは、通勤ラッシュの時間に便数が多いdが「?東京郊外の住宅団地のバス停」、朝早い時間と夜遅い時間に騒音の問題から便が出ておらず、さらにすべての便が「5」「10」「30」など5の倍数でキリのいい数字になっているbが「?成田空港の上海行きの航空便」、便数が極端に少ないaが「?人口約5000人の山間部の村のバス停」、残りは消去法でcが「?人口約10万人の地方都市の駅前のバス停」となります。

 この問題以外にも、「昨今シャッター通り商店街が増えている理由を答えよ」「朝焼けが綺麗だと雨が降りやすく、夕焼けが綺麗だと雨が降りにくい理由を述べよ」「京都と奈良以外に、台湾人が日本旅行で観光する場所と、その理由を述べよ」といった入試問題が出題されています。

 また、日常の風景から考えさせるのは、東大の学内の授業も一緒です。「日本の映画やアニメではよく東京タワーが壊されるが、アメリカの作品ではタイムズスクエアは壊されない。ここからわかる日本とアメリカの価値観の違いとは?」「渋谷駅の構造から学べるシステム工学とは?」など、日常生活から学びにつなげるような授業が多く展開されています。

 頭が良いというのは、こういう「日常生活のさまざまなところから学ぶ『目』を持っていること」を言うのです。

■日常のあらゆることに「質問」してみる

 では、その目を養うためにはどうすればいいのでしょうか?  その答えは、非常にシンプルです。「ある行為」を常に行えばいいのです。

 それは、「質問」です。いろいろな物事に疑問を持ち、その答えを探そうと常に考えれば、自然と「目が良くなる」のです。

 例えば僕は、東大に入って一番驚いた出来事があります。それは、授業が終わった後に、みんな教授に質問に行くことでした。

 「ここがわからなかったです!」「ここって、教授はどういう意見をお持ちなんですか?」などと質問するために、多くの学生が教授の前に並んでいるのです。

 彼ら彼女らは、東大に入るほど頭の良い人たちです。そんな、わからないところなんてなさそうな人たちなのに、疑問を持って質問に行っているんです。翻って、偏差値35だったころの自分を思い返してみると、「へー、そうなんだー」と何の疑問も抱かずに、質問になんて行ったことがありませんでした。

 一見、質問なんてしないほうが頭が良さそうな感じがするんですが、まったくそんなことはないのです。頭の良い人ほど、物事に対して「なぜ?」を考える能力が高いのです。逆に言えば、普段から、あるいは小さいころから「なぜ?」と考え続けている人こそが、頭が良い人になれるのではないでしょうか。

 逆に、何の疑問も持たずに、ただ勉強していても成績は上がりません。かつての僕が、まさにこのタイプでした。一例を挙げると、単純な暗記ですら、「目が悪い」とうまくいかない場合が多いです。

 たとえば「submarine」という英単語は、「潜水艦」という意味です。これ、そのまま英単語として暗記する人が多いと思いますが、日常生活に目を向けて「考えて」いる人なら、暗記なんて1つもいらずに覚えられます。

 まず、「marine」は海という意味です。そこに「sub」とついているわけですが、みなさん「サブ」ってどういう意味か知っていますか? 

 日常生活でも、サブタイトルとかサブキャプテンとか言いますよね。サブというのは「下」という意味です。メインタイトルの「下」がサブタイトル、メインのキャプテンの「下」の役職をサブキャプテンと言います。

だからサブウェイというのは「道の下」で「地下鉄」という意味になりますし、サブマリンも「海の下」だから「潜水艦」になるのです。これがわかっていれば、サブマリンは覚えようとしなくても自然と頭に入ってきます。

 しかもこう考えておくと、次に勉強する「サブ」と付く英単語はすべて、「下」というニュアンスがあるんじゃないかと推測できるようになります。他の単語も覚えやすくなるんです。

 英単語だけではありません。東大生は、例えば数学の公式を丸暗記したりはしません。「どうしてこの公式が成立するんだろう?」と考えて、自分で数学の公式を組み立てられるようにします。

 歴史の年号も丸暗記せずに「なんでこの時代に、この出来事が起こったんだろう?  世界では同じ時期にどんな出来事が起こっていたのかな?」と考えます。他の出来事とつなげて理解することで、本当に丸暗記をしなければならないものの数を減らしているのです。

 これと同じように、日常生活のレベルから「なぜ?」と考える訓練をして、目を良くしておけば、少ない暗記量で対応することができるのです。

■「勉強」以外でも、「目が良い人」が成功する

 これは「勉強」という分野だけに限った話ではありません。努力して何かを成し遂げる人は、往々にして「目が良い人」だと感じます。

 僕が偏差値35だったときは、問題を間違えても、普通に「間違えちゃったなー」「気をつけなきゃ!」としか思いませんでした。しかし東大生は、そんな風に自分のミスをふわっとさせたままで終わらせることは絶対にありません。

 「なんでここで間違えたんだろう?」と深く考えて、「これはきっと、この知識がなかったから解けなかったのだろう」「この問題形式に慣れてなかったからこういうミスをしてしまったんだろうな」などと、自分のミスを次に活かせるように分析しています。「間違いを分析する目」を普段から養う訓練をしていて、そのスキルが身についているということです。

また、当時の僕は目標を立てたり勉強の計画を立てるときに、「まあ、とりあえず数学をやろっかな」「今日は英語をやろうかな」みたいな感じで、非常にふわっと目標を設定していました。「今日は何を勉強しようかな」とぼんやり考えていたころは、成績はまったく上がりませんでした。

 しかし東大生は、こういう目標の立て方は絶対にしません。「自分はどんな目標のために、どんな勉強をすればいいのか?」を考えて、そこから「入試から逆算して、この数学の問題集が必要なはずだ!」「今日はあの英単語帳を100単語やろう」とブレイクダウンする。目標が明確で、それが数値に落とし込まれているのです。

 失敗を分析し、目標を明確にする。そのために、失敗や目標に対して疑問を持ってみる。これを繰り返すことで、失敗や目標の「解像度」を高めることができます。そのうえで努力するから、目標を達成することができるわけです。

 いかがでしょうか?  いろんなことにきちんと疑問を持ち、「日常の解像度」を上げる訓練をする。それこそが、東大生をはじめとする「頭の良い人たち」がやっている思考法なのだと、僕は考えています。

 頭の良い人とそうでない人って、生まれつきの大きな差があるように感じる人もいると思います。でも、僕自身がそうだったように、「疑問を持って、目を鍛える」という非常にシンプルなことを続ければ、この差を埋めることができるのではないかと思います。

 正直、僕自身もこれから先、普段からきちんと考えて、目を鍛えていかなければならないという自戒を込めて、今回の記事を書かせていただきました。みなさんのこれからに少しでも活かせる部分があれば幸いです。

西岡 壱誠 :現役東大生

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