なるほど>なぜ世界中で中国との対決が起きるの か、そのシンプルな理由

Snagit1_19.png
Yahoo!ニュース
Yahoo!ニュース Yahoo!ニュースは、新聞・通信社が配信するニュースのほか、映像、雑誌や個人の書き手が執筆する記事など多種多様なニュースを掲載しています。

奴隷制度と共産主義

写真:現代ビジネス

 最近、「黒人の命は大切だ」と叫ぶBLM運動が米国内で爆発的に広がった。その運動が過激化していることの問題点は、6月30日の記事「日本人にはわからない『米国暴動・現代の魔女狩り』の予感」で述べた。白人警官の命も黒人容疑者と同じく大事だ。もちろん、日本人を含むすべての有色人種の命も尊重されるべきだ。

【写真】習近平も青ざめる…中国の尖閣侵入に「日本のマジな怒り」を見せる方法

 また、その暴力的行動の背景には、アンティファを始めとする、7月1日の記事「日本でも再び『共産主義テロ』は起こるか?」のような勢力の存在が見え隠れし、暴力テロの再現も予想される。

 しかしながら、共和党から初めて選出された大統領であるエイブラハム・リンカーンが1863年に「奴隷解放宣言」を行うまで、「公式に」奴隷制度が認められていたのは紛れもない事実である。

 もちろん、私は「奴隷制度」には絶対反対であるが、歴史上の出来事を現代の倫理観で断罪するのもおかしいと思う。例えばマケドニアのアレクサンダー大王は、現代的感覚で言えば「殺戮を繰り返して他国の領土を奪う帝国主義者かつヒットラー以上の独裁者」だが、誰もそんなことは言わない。

 実際、江戸開府以来1867年に大政奉還するまでの日本は、身分制度によって支配されていた。現実にはほとんど行われずに実行者は厳しい非難を浴びたが、武士が家来、使用人、農民、町人などを切り殺しても罪に問われない「切り捨て御免」=「無礼討」という制度も存在したのである。

 別に、現代においてそのような奴隷制度や身分制度を肯定しようというわけではない。全く逆だ、我々が日常的に受け入れている当たり前のことの中に、将来の人々から見て、奴隷制度や身分制度と同じように「許しがたいもの」が存在するということである。

 その未来の人々が許しがたいと感じるだろうシステムが、共産主義である。
私有権こそが民主主義の基本

 私は、共産主義は「現代の奴隷制度」と呼ぶべきだと考えている。
その理由を大きく2つにまとめると

———-
1.共産党が、専制的に人民(奴隷)を農園主(国王・貴族)のように支配している。
2.米国の黒人奴隷や欧州の農奴たちと同じように、共産主義国家の人民は私有財産を持たない(後で述べるように、改革・解放のような市場主義、一部私有権容認のような政策は「反共産主義的」)。また、共産主義国家の人民は、奴隷と同じく共産党(農園主・領主)の所有財産である。
———-

 となる。

 1については、必ずしも共産主義や奴隷制度の特徴とは言い切れず、専制君主、ファシスト、軍事独裁など、あらゆる「暴力によって人々を支配する」独裁政治に共通だと言える。

 さらには、ひところはやった「社畜」という言葉が示す通り、「会社の専制的命令には逆らえないサラリーマン」にさえ当てはまるかもしれない。もっとも、民主主義国家のサラリーマンたちは、「社畜からの解放」=「他社への転職」という最終的な対抗手段を持っているわけだが……
奴隷制度、共産主義、農奴制の共通項

 2については、主として奴隷制度、共産主義、農奴制に共通した特徴である。

 要するに「働いて得たものを含むすべての財産」は、ご主人様、共産党、農園主のものであり、働く者の私有財産は一切存在しないということだ。

 「市民政府論」(筆者書評参照)を著したジョン・ロックは、王権など専制的権力に対抗するための「市民の防衛力」としての「私有権(財産権)の保証」を重要視した。

 「社畜」として、会社の強力なパワーによって自らの財産権への甚大な影響を受ける読者は多いかもしれない。しかし、強大な力を持つ企業でも「(給与などを)与えるのをやめること」は可能でも「社員の財産を奪う」ことはできない。日本のような民主国家でそのようなことを行えば明らかな犯罪である。

 しかし、現代の民主主義国家においては犯罪とされることも、奴隷制度、共産主義、農奴制においてはまったく合法である。

 実際奴隷解放宣言以前は、奴隷制度が合法であった。現在、共産主義は合法であるが、それが果たして正しいことかどうかは、奴隷制度においてそうであったように「歴史が判断」するであろう。
南北戦争は経済戦争でもあった

 南北戦争では北軍が勝利した。北軍が奴隷制度反対の立場であったのは間違いのない事実であり「命をかけて(そのためだけとは言えないが、解放宣言の2年後の1965年に凶弾に倒れた)」奴隷解放を実現した共和党初の大統領エイブラハム・リンカーンの存在によって、そのイメージは強められた。

 しかし、南北戦争全体を「倫理的な(奴隷解放という)目的」のためだけの戦争ととらえるのは大きな間違いだ。

 よく知られているように、当時北部は工業化が進んでおり、監督官が鞭打って働かせる奴隷は必要が無かった。だから、奴隷制度を維持するよりも、奴隷を解放して賃金労働者として雇うことの方が経済的メリットが大きかったのだ。

 奴隷というのは、いくら働いても利益(農園の場合は収穫物)はすべてご主人様に召し上げられ、与えられるのは生存にようやく足りる程度の食糧と寝床である。いくらたくさん働いても、それらが増えることはない。

 鞭で打たれなければ、到底働く気にはならないし、「手を抜けることはすべて手を抜く」という態度になるのも当然だ。私がもし奴隷にされたとしても当然同じことを考える。

 確かにガレー船(古代多くの漕ぎ手の人力に頼ったスピード船)の漕ぎ手や、農作業のための労働であれば、見たままを監督すればよいから監督官が鞭打つ奴隷制も成り立つが……
女工哀史はあっても……

 しかし、工業製品の生産ではそのようにいかない。例えば、女工哀史という言葉はあるが、女工奴隷史という言葉は聞かない。それは、工場労働に奴隷制度を適用するのが困難だからである。

 近代的工場では分業が行われており、1人が粗雑な仕事を行うと完成品全体に影響がおよぶ。工業製品は、農産物に比べて元々品質管理が大きな問題だが、分業化によってさらに個々人の労働意欲が問題になる。

 農作業で手を抜いているのは、外から見てもわかりやすいが、工場で行う手元の細かな作業を監督官がいちいちチェックして鞭打つというのはあまりにも非効率だ。だから、工業社会には奴隷制が適合しない。

 鞭打つ代わりに、解放奴隷として「賃金という飴」を与えて「働かないならあげないよ」という飴戦略をとったのが北部の工業州である。

 つまり、北部が奴隷制度を廃止したかったのは、奴隷制度の生産性があまりにも低く、「飴で働いてくれる解放奴隷」を多数必要としていたということなのだ。
奴隷制度の中の「解放奴隷」という1国2制度

 私有権を与えられない共産主義という現代の奴隷制度の中で、特別に「奴隷が解放されていた」場所が香港である。その「解放された奴隷」たちの地位が危うくなっていることは、7月11日の記事「限りなく北朝鮮化に向かう中国『1国2制度破棄』でサイは投げられた」などで述べた。

 香港だけではなく、中国大陸における「改革・開放」も、共産主義という奴隷制度の枠の中での「一部奴隷解放」であった。

 それまで、すべてのものを共産党というご主人様に召し上げられていた中国人民に限定的とは言え「(私有)財産権」が認められた。当初は恐る恐るであったにせよ、それまでのうっぷんを晴らすかのように、中国人民のやる気に火がついたのは、これまで我々が目撃してきたとおりである。

 しかし、この「改革・開放」=「一部奴隷解放」は、中国共産党にとって諸刃の剣であった。一部でも解放された奴隷=中国人民は、「自由」の素晴らしさを知り「ご主人様を恐れる必要が無い」ことも実感する。

 これは、ご主人様=共産党にとっては見過ごせない事態である。習近平氏の最近の行動からは、「奴隷からの開放を望む中国人民」を恐れていることがありありとうかがえる。彼ら共産党は、国家が栄えるかどうかよりも、自らの権力を維持できるかどうかの方がはるかに大事なのだ。

 それは、南部の農園主が「奴隷のご主人様」としての地位(権力)を、経済合理性など無視して守ろうとしたのと同じである。
現代の南北戦争でも「北軍」が勝つ

 すでに述べたように、近代産業において奴隷制度の生産性は低い。

 したがって、南北戦争が工業力にすぐれ生産性の高い北部の勝利に終わったのは偶然ではなく、歴史的必然だとも言える。

 同じように、生産性の低い共産主義国家が生産性の高い民主主義国家に、最終的に敗れるのも歴史的必然だと言える。1989年のベルリンの壁崩壊や1991年のソ連崩壊もその証明だ。

 むちで打ったり、家族を処刑するなどと脅かして、他国から盗んできた情報・技術で製品をつくらせることは可能であろう。しかし、「新しいアイディア」は、脅しでは生まれない。最初はコピー商品で共産主義国家が善戦しても、最後は高い意欲に牽引された「創造性」によって民主主義国家が勝つ。
日本は絶対に奴隷制度を支援してはならない

 奴隷解放宣言までは公式に奴隷制度が認められていた。また75年前まではファシズム国家が世界の主要国として君臨していた。

 第2次世界大戦でそのファシズム国家と手を組み、戦後75年間辛酸を味わった日本はその事実を忘れるべきではない。

 時代は常に未来に向かって流れているから、現在合法であっても将来も合法であるとは限らない。

 どのようなことがあっても、日本は最終的に勝利する民主主義の勝者グループにとどまらなければならないといえる。

大原 浩(国際投資アナリスト)

目次